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港区を歩く 麻布十番

■港区の街紹介 港区を歩く■

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麻布十番

シティタワー麻布十番
 

■麻布十番と鉄道
今日は麻布十番駅周辺を散歩してみよう。全国的にも有名な麻布十番商店街の入り口に位置する4番出口からスタートする。麻布十番駅の開業は2000年9月。歴史のある街ながら鉄道の開通は遅い。「当駅は、本来日比谷線の駅として開業する予定であった。しかし、銀座方面に人が流れるのを嫌い、反対運動が起こった。そのため南北線が通るまでは駅がない地区になってしまった。時が経ち、地下鉄線ができ上がっても麻布地区には駅ができる様子がなく、今度は陸の孤島になってしまい逆に人が来なくなり活気がなくなりつつあった。そこで今度は地下鉄線を誘致する事になり、活気を取り戻そうと計画した。」その計画の末、南北線と大江戸線が開通したとのこと。ということは麻布十番が銀座をライバル視できるほどの街であったということでもあろう。なにせ300年以上の歴史を誇る商店街である。この街が特に賑わいを見せるのは夏の麻布十番納涼まつり。期間中は身動きもとりづらいほどの人でごった返す。

シティタワー麻布十番

■麻布十番の歴史

麻布十番は、先程も述べたように古くから栄えていた街である。街を歩けば老舗の数や周辺の寺社仏閣の多さに江戸の情緒が息づいていることをかすかながら感じる事が出来る。1859年に善福寺にアメリカ公使館が置かれており、善福寺には初代公使ハリスの墓が建てられている。国際色豊かな街、麻布の礎はこのころに作られたのではないだろうか。麻布や白金の古川の近くは都内でも有数の町工場が多い場所であるが、これは明治時代に文明開化の影響もあり工業が発展し、古川沿いに多くの町工場が作られた為である。大正時代には花街として賑わい演芸場、デパート、映画館などが完成し大変栄えていた。その規模は当時の東京でも屈指であったと言われている。1947年に麻布区が赤坂区、芝区と合併し港区になると旧麻布区域の町名は頭に「麻布」を冠するようになる。麻布○○町という町名が当時41存在したという。しかし住居表示の実施により、この趣のある多くの町名は麻布永坂町、麻布狸穴町以外は全て消えてしまった。昭和から近年では麻布十番温泉が有名で、ひとつの名物でもあったのだが、時代の流れには勝てなかったのか、2008年に残念ながら廃業している。麻布十番商店街はアーケードはなく、車道、歩道は綺麗に舗装されており、全体的にゆったりと散策できるようになっている。道中の名店などの老舗が多く立ち並ぶ。少し奥へ進むとパティオと呼ばれる多目的広場が整備されており、足を休めて休憩できる。商店街の利用者は老若男女幅広く、付近に大使館が多いため外国人の姿も多く見られる。

パークコート麻布十番 ザ タワー

■お寺と大使館 元麻布
麻布十番商店街の奥には都内屈指の高級住宅街、元麻布がある。元麻布は古くからの寺町でもあり、「善福寺」や「賢崇寺」などの歴史深いお寺が数多くあり、周辺は都心とは思えない静寂に包まれている。お寺と共に目立つのが各国の大使館の多さである。そのためインターナショナルスクールもあり、非常に国際色豊かな街でもある。

パークコート麻布十番 ザ タワー

■マンション事情
麻布十番駅の賃貸物件は、駅周辺に古くからあるマンションや高台の高級低層マンションなどが目立つが、近年は大通りを挟んだ向かいの三田1丁目の再開発が進んでおり、その中心にある「シティタワー麻布十番」と「パークコート麻布十番ザ・タワー」の2棟のタワーマンションに特に注目が集まっている。高級賃貸タワーマンションの「三田1丁目のレジディアタワー麻布十番」も人気が高いです。

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